ガチアスリートが主なクライアントと聞いていたので、体操部時代の怪我をこじらせて故障だらけのトレーニーに付き合ってもらえるのだろうか、と半信半疑ながらも、依頼してみることに。ほどなく丁寧な文面の、自己紹介を兼ねた案内メールがやってきた。
「日常の行動から身体の使い方を学んでいき、それぞれのパフォーマンスを上げるということを行なっています。」
漠然とした文面に、キリリとした厳しさが覗き、尻穴が窄む思いながらもトレーニングが始まった。そしてかれこれ2年が経つ。
明らかに変わった部分、ひそやかに変わった部分、いろいろ!
まず、「明らか編」。
何はともあれ、マインド。前向きになりました。自分のカラダのトリセツをカスタマイズしてもらうようなトレーニングメニューは、自己練やジム通いだけでは決して得られないもの。ゆえに絶大なる安心と信頼があります。あとは、次回までに淡々と練習し、自分のカラダに落とし込む(ように努力する)だけ。すると積み重ねた分、結果に表れます。また、表れた結果に、自信が一つずつ積み上がるのです。とはいえ、ワタシの場合、日常の立つ、歩くすら支障をきたしていたので、華やかなメニューとは言いがたい実に地味で地道な動作を細部に至るまで検証し、司令塔たる脳内イメージを書き換え、更新する作業がメイン。バエ要素皆無で、一見退屈でしかないメニューを意思と意識をもって継続することで、明らかにカラダの使い方が変わり、操作性が効率化され、ひいては見た目も変化するという実体験は、昨今の筋トレありきのアプローチとは真逆かもしれません。骨ありきの理論のもと指導される内容は、本場アメリカで学んだのち、アジア人の骨格や中国をはじめとした武術から得た知見に裏打ちされたものだそう。
次に「ひそやか編」。
動作する際の起点たる命門をあらゆる動きの始点とすることで、ガタピシしておぼつかなかった日常動作はもとより、ヨガのアーサナやダンスのポーズまでキマるのです。傍からはわかりづらいかもしれませんが、吸い込んだ息の当てどころを命門とすることで、無駄のない力が湧き、その力を生かした動作に繋がる感覚があります。思えば、かたい瓶の蓋を開けるとき、教わるまでもなくこの命門に息を最大限送り込み、吐く息とともに回していました。それなのに、運動だのトレーニングだのとなると、意識がむしろ局所的になり、一部分の筋肉を働かせては、連動性のない動きをいわば振付としてでっち上げていただけだったと気づくのです。
2年の軌跡と奇跡はありすぎてお伝えしきれないけれど、まずは体験し、体感することをオススメしたいです。微細な感覚を要する内容はヘタな言葉をいくら積むよりも、本物の指導者にライブで教わってこそだから。