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企業情報・自己紹介

こんにちはhilotokenです😊 一緒に踊りませんか? 個人出張レッスン(自宅可) 90分¥10,000汗だくになるレッスンです

経歴・資格

hilotoken 愛知県豊田市出身。 高校時代、昼はサッカー、夜はアコギを持って金山駅でミスチルを歌うことに情熱を燃やしていたが、 クラブで観たダンスに衝撃を受け、翌日にはサッカー部を退部し、ギターもへし折り、ダンサーへと転身する。 「不器用すぎてすぐやめると思った。」(by森さん)の言葉とは裏腹に、 大学進学後には努力が実を結び徐々に才能が開花していく。 恵まれた体格とギラついたイキり具合を遺憾なく発揮し、『pimps』, 『BROTHER』などで活躍後、 自身の生徒たちのチームである『Bo‘z』を買収するカタチで自らが加入。 東海のダンスコンテストを荒らし、 04〜05年は『JAPAN DANCE DELIGHT(JDD)』で連続FINALISTとなるなど破竹の勢いを見せ、 「名古屋はぬるま湯だから。」が口癖となる。 当時、新興され始めたバトルイベントでも勝負強さを発揮し、 06年には『THE CENTRAL EMBLEM KING』初代王者に輝き、『HOOK UP』でも準優勝するなど、 「もう名古屋に俺の敵はいない。」が口癖となる。 当時は、ボウズにドゥーラグにニューエラ、3XLのT-shirtにハーパンにエアフォース、 180cm80kgの大型DOPEダンサーであり、 アングラシーンで活躍するとともに、 『HOME MADE 家族』『AK-69』のサポートダンサーとしても活動し、 『ミュージックステーション』への無表情出演などオーバーでの仕事もこなしていき、 「俺が東海のHIPHOP KINGだ。」が口癖となる。 『Bo‘z』メンバーを見限り、 『BROTHER HOOD』, 『ICE BERG』での活動を経て、 結局『Bo‘z』のDEJI, 0014, WOWZを率いて『Skullz』を結成し、 正統派アングラHIPHOPスタイルでさらに活躍していく。 10年、『Skullz』がDEJIとの2人活動が中心になった頃、 ピラティスと出逢い、心身を見つめ直したことで、 今までの自分がいかに無理してオラついていたか、認められようとしすぎていたかに気付き、 より自然体に自分らしく踊り、自分らしく生きていくことに重点を置いていくようになる。 表情も柔和となり、「今俺が好きって言ったらどうする?」が口癖となる。 路線変更した『Skullz(のちにDEJIに相談なく『澄香樹』に変更)』は、『NAGOYA DANCE DELIGHT』3大会で優勝、準優勝、3位すべてを獲得し、 『JDD』でも印象に残る作品を次々と残し、唯一無二のスタイルを確立する。 バトルでも『DANCE@LIVE』のFINALIST、 『THE GAME』ではカメラマンのカメラを奪ってこっぴどく叱られるも優勝、 さらには全国初のダンススタジオの契約ダンサーとなるなど天井知らずの活躍を見せる。 またどんどん実験的なダンススタイルを好むようになり、 MOTOTAKA, UC, baanintatsuya, YELLOW MONKEY, Susumu Spanielとの『Contrology circle』では、 様々なイベントで問題作品を投下し、 全国のヘッズが集まるHIPHOPイベント『STRAD』でも、”前衛的なSHOW“とビルボード誌に評価されるなどアーティストとしての存在感も増していく。 その一方で、ヒトの道はどんどん外れていくこととなる。 この頃には、 10kg以上の減量に加え、服も細身へとなっていき、 自らの身体を研究する過程で発案された『ヒロティス』なるボディメソッドを周りに与えることで、 地球と対象者の人生を良くすることに生きがいを感じていき、 「天使かと思ったら、君だったんだね。」が口癖となる。 以来、 ダンスとヒロティスを通じて、宇宙の声を聴きながら気ままに活動しており、 正解か不正解か、通常の物差しでは測りきれない思考と感覚で、 軽々と枠をはみ出す活動を繰り返している。 22年にはhilotokenに改名するも、いまいち浸透しておらず、来年以降6度目の改名にも期待がかかっている。紹介

お仕事で心がけていること

一期一会

事例

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